女性としての「~のかけら」を徒然なるままに・・・。
結婚前は、税理士事務所勤務。鉛筆と電卓で紙の上の数字を転がすのが好きでした。
当時の会計業界は、今のような万能な会計ソフトはなく、伝票を見て手打ちしたり、申告書もカーボン紙を敷いて手書き。あっちとこっちの数字がピッタリ合わなければいけないわけなんですが、なかなか1度では合わない。で、合わない数字を探していくのですが・・・縦横斜め全ての数字がピッタリ合った時の達成感が半端なかった!なので、当時は何となく税理士になろうかなと考えていました。

ところが、転勤族の夫と結婚し、そこから私の転妻人生が始まります。
夫が転勤族なのは承知していたし、私の実家はずっと商売をしていて、ろくに旅行したこともなかったので、むしろ見知らぬ土地に行けることはわくわくした気分でさえありました。
でも現実は想像していたより結構過酷。
転勤で新しい土地に行くたび、現在の場所で手にしたものを手放さなくてはならない。
新しい土地に行くたび、日常生活がリセットされ、また1から始めなくてはならない。
新しい土地に行くたび、新参者として平身低頭。
まるで、一生懸命書き溜めたWord文書を保存していないうちに消されてしまった・・・みたいな。
新しいことへの高揚よりも、だんだん心が疲弊していきました。
転勤で一番困ったのは、属地性からくる「当たり前」の基準が違うということ。
例えば子供のスポーツ。Aの地域ではサッカーが盛んで、Bの地域ではバスケットボールが盛んで、Cの地域では水泳が当たり前で、Dの地域ではスキーやスケートが当たり前。
いくらサッカーが得意でもCの地域で泳ぎができなければ、即座にばかにされてしまいます。
「転校生」として奇異な視線に晒されながら、学校というコミュニティに溶け込むためには、その都度サッカーだったり水泳だったり、その地域の当たり前を習得していかなくてはなりませんでした。
「当たり前」とか「普通」とか、転勤族からしたら、何ら属地的で正解のない物差しで評価されることが理不尽で仕方なかった。
でも、自分もしんどいけど、子供が同じ思いをしているのを見るのは、もっともっとしんどいんです。
どこに行っても「頑張って早くみんなと仲良くなってね」と言われます。あれ・・・励ましてくれてるのでしょうが、言われた子供は ❝またか・・・❞ なんですよ。
何度目かの転校の時、新しい小学校で、担任の先生に食ってかかったことがあります。
「うちの子は、いつだって頑張ってますよ!AでもBでもCでも、いつだってどこでだって、自分をわかってほしくて、ずっとずっと頑張り続けてますよ!一方的にこっちに頑張れでなく、たまには手を差し伸べてもらえませんかっ!?」って。
今では笑い話ですけどね・・その学校からまた転校する時、その時の先生が見送りに来てくださって「あの時は目が覚めました。でもしばらく(お母さんが)怖かったですけど・・・」と本音をポロリ。

悪いことばかりじゃないけど、やっぱり大変な転勤生活。
15年ほど日本中を回ったある日、首都圏への辞令が出ました。その後夫は単身赴任を何度か繰り返しましたが、私たちは一つの土地にずっと住むことができるようになったのです。
そしてそこから、私の社会復帰への模索が始まります。続きはまた次回・・・。
